C世界#1
目を閉じて
意識を落として
さあ何が見えますか?
「小さいトカゲが一匹入った箱が見えます」
ほうほう、小さいトカゲですか。ではあなたはその箱を見てなにか感じましたか?
どんな感情でも結構ですよ。
「うーん、毒を持ってたらどうしようとか、なんか気持ち悪いなとか、そんな感じですかね」
なるほど。ではそのトカゲはあなたをどう思っているのでしょうか?
「え?・・・トカゲがですか?」
そうです。あなたはどう思われていると考えますか?
「うーん、なんかでかいのがいるなーとか、そういう感じでしょうかね?笑」
ほうほう、つまりトカゲはあなたに対して特段恐怖心とか不快感等は抱かないと?そうあなたはお考えなのですね?
「あー、・・・よくわかりません。だってトカゲですもんね。」
はっはっは、これは傑作だ。あなたは矮小でその気になればいつでも片手で捉えてひねり潰せるサイズのトカゲに対し僅かでも気持ち悪さだとか、不快感を抱くのに、トカゲの方はあなたをなんとも思っていないと!
「いや・・・そう言うと語弊がありますが・・・」
あなたは主観的に矮小なトカゲを気持ち悪いものや不快なものと認識しているのに、その対象には無償の平然さ、あるいは泰然さを求めると!持って当然だと!いやはや!
「あの、お話の内容が・・・」
内容がないよう!くっくっく、いや失敬!いや失敬千万なのはあなたの方ですな!あなたという人間!ヒューマンカインド!まったく面白い事だ!図体のわりに矮小な考えしか持ち合わせないときた!
「・・・ああうるさい!あなたはまさに今の世の中そのものだ!うるさいうるさいうるさい!とにかくうるさいんだ!面倒くさいんだ!あなたを呪詛する言の葉をなげかけてやりたいがそれには私の語彙レヴェルがエクストリームプア!老人が茶々入れる場末のバァ!これぞ世の中!トカゲの尾の中!毒でまみれてノックダウンしちまうぜ」
脳まで毒が回ったかヒューマンカインド、退化の改新かリーマンカインド、日々のエナジーはストロングゼロ!かき回されシナジーは残高ゼロ!愛する代わりに哀に背を向けコンクリートジャングルを走るぜランクル!
「セイホーオー(オーオー)」
せいべいべべ せいべいべべ
B世界#1
仕事の昼休み休憩時間中のようだった。
寒くも無く暖かくもない妙な気候。だが太陽は出ていて空は青い。
職場の外にいるらしい。何故か懐かしい感じのする住宅街をてくてくと歩いている。
昼休みだが腹は減っていないようだ。どちらかというと脳味噌が疲れているようだった。
しばらく歩くと右手に小学校が見えてきた。小学校の敷地と、今私が歩いている道路とは、どぶ川が流れる側溝と15メートル程はあるのではないかと思われるペンキを塗りたてのフェンスで隔てられていた。
小学校のゲートが見えてきたが、白看板に赤い文字で「防犯カメラ監視中!」と書かれていた。まるでその小学校は、何か決定的な理由で私を拒んでいるかのようだった。
そこからは、何をどうしたのか、どこでどう買い物をしたのかよく覚えていないが、気付くと私の手には缶ビールが握られていた。しかももう開栓されて二口ほど飲んだあとらしい。
なるほど、少しだけ喉に爽快感があり、全身がわずかに火照り、筋肉が弛緩したような感触がある。
その時、道路の向かい側から上司であるMが姿を現した。
「おお、お疲れ、今休憩か?」
「ああ、ええ、はい。」
その上司は現在はあまり関わりが無いが、2-3年前のA世界では直属の上司であった人物だった。仲良くも悪くも無く、ただ何となく苦手であった。
ふとMは私が持っている缶ビールに気付いた。
「お前そんなもん飲んでんのか?」
「あ、いや、これは」
とっさに言い逃れをしようと思考が働いた。だが、その思考通りにMは
「何や、ノンアルコールビールか。びっくりしたわ。」
「あ・・・ええ、そうなんですよ。飲むとすっきりするんですよ。」
Mは特にそれ以上は気にも留めず、私の進行方向とは反対に歩き、角を曲がって消えていった。
Mの姿が見えなくなってから私は何故かひどく自己嫌悪した。この世界でとっさに「自己保身」のような心理が働く嫌らしさをか?勤務中にも関わらず誘惑に耐え切れず気付いたら缶ビールを口にしていた意思の弱さをか?はっきりとはわからない。
その自己嫌悪の感情が大きくなっていき、恐ろしくなったところまで覚えている。
空はあいかわらず青く良い天気だった。
A世界#3
「お前は馬鹿か」と人に対しすぐ言う人間は、自分が本当は馬鹿である事を、あるいは何時の日か馬鹿扱いされないかと絶えず怯えている人間である。
手先が不器用な事をあざ笑い蔑む人間は、自分は色々な事をてきぱきとこなせる事に対して自信を持っているし、その自信を絶対に手放したくないからあざ笑い蔑むのだろう。
容姿について槍玉に挙げ嘲笑の種にする人間は、自分は容姿について絶対に嘲笑われたり馬鹿にされたくないと思っている人間である。
そういう意味では、テレビやラジオ、書面で様々な罵詈雑言が飛び交うこの世の中は、絶えず何かに怯える人たちの集合体なのかもしれない。
怯える対象は、外敵である。自分の平穏、生活を脅かす外敵である。この外敵の正体はいまいちぼくにはわからない。
ぼくたちの生きる社会を外からじっと眺めているように感じる事もあるし、霧状のものに姿を変え、内側の窪んだ所に潜んでいるように感じる事もある。
かくいうぼくも、絶えず何かに怯えながら生きている。
馬鹿と言われるのは嫌だし、失敗を嘲笑われるとつらいし、容姿についてからかわれると悲しくなる。
この外敵に立ち向かい、追い払う事は果たしてできるのだろうか。
いかんせんこの外敵は数が多すぎるのだ。暴力的な物量で蝕んでくるように感じる。
ただただ恐ろしい。
A世界#2
一日を振り返ってみよう。
朝、セットした目覚ましよりも早く目が覚める。起き上がるのが気だるくてとかではなく、起き上がってしまうと奇怪な世界と何時間も相対しなければならず、それが恐ろしくて体は自然に布団に潜り込む。しかしながら目覚ましが鳴るまでの1時間弱の時間を熟睡することもできず、中途半端に覚醒した状態で結局目覚ましに定刻に叩き起こされ、布団から這い出す。
相変わらず胃の中では大蛇が暴れ、気持ちが悪い。食欲は無い。昨日は夕食が遅く、酒を飲んだせいもあるかもしれない。思考が落ち着くまでしばし夢遊病患者のように部屋の中をうろつき、ベッドと机の狭いスペースに腰を落とす。洗浄液に浸されたコンタクトレンズを取り出し両目に着ける。
無精髭を剃り、シャワーを浴びる。外では小さい子供の遊び声が聞こえる。
体を洗い覚醒しても、食欲は湧かない。服を着、デンタルフロスで歯の間に挟まった垢を取り除く。自分の体から出たものとは信じ難いほど醜悪な匂いがする。消毒用アルコールで口を濯ぎ、歯を磨く。同時に湯を沸かし紅茶を淹れる準備をする。
紅茶を飲みながら適当なWEBサイトを眺める。こういう時の時間の流れは速い。
乗らなければならない電車の時間が迫り、家を出る。本来は空き缶、空き瓶、ダンボールを全て捨てなければならないが、ビニール袋に突っ込んだ数日分の空き缶と手持ちで持てるだけの酒瓶を握り、鞄を肩からかけて家を出る。階下のゴミ捨て場にビニール袋と瓶を捨て、駅まで歩く。
この付近は学生街で、今日はその大学の1限に合わせて登校する学生と時間が被ったらしく、駅から大学のキャンパスを目指す学生の集団とすれ違う。心なしか、皆目が活き活きとしているようだ。
行き違いで駅まで歩く通勤者がスムースに歩けるよう、「xx大学」の腕章をした初老の男性警備員2人が、腕を一杯に広げ、学生の集団と通勤者の境目に立ち、「ダム」の役目をしていた。
初老の男性のうち1人は、どこを見つめているのかわからないうつろな目で「壁から離れて歩いてくださーい」ときっちり一定数秒の間隔でアナウンスしていた。
「壁から離れて歩いてくださーい」
「壁から離れて歩いてくださーい」
彼は何を見ていたのだろうか。頭の中では何を考えていたのだろうか。彼の目にはこの朝の駅前の風景はどのように映っていたのだろうか。
そういうぼくは学生の集団とは逆方向に歩きながら、どのような目をしていたのだろうか。
そういう事を考えながら駅に向かって歩いていたら、ぼくは何とも言えない気持ちになった。単純に悲しいとか、怒りとか、そういう感情ではない。前途有望な学生とうつろな目の初老の男性の対比とか、そういう単純でわかりやすいヒロイックなものでもない。ただただ何とも言えない気持ちになった。そうして不思議とぼくのなかには「壁から離れて歩かなければならない」という言葉の残響のような、なにかどろっとしたしこりのようなものが、へばりついて残ろうとしている。なぜこの気持ちは言葉で言い表せないのだろうか。
電車の中では音楽を聴いているとあっという間に時間が過ぎる。
都心にある職場の最寄り駅に着き、街中を歩いているときには、さっきの何とも言えない気持ちは何故か綺麗さっぱり消えうせていた。都心の街中はただただ汚く、醜悪で、無感動で、無意味だった。
そこからはあまり記憶はない。ただただ仕事をしていた。とても人間らしく、焦った顔と笑顔とふざけた顔を織り交ぜながら、仕事をしていた。
無感動に夜の都心の繁華街を通り抜け、電車に乗り、地元駅に着く。スーパーで食料を買って帰る。帰りが少し遅くなったせいか、朝は学生の集団でごった返していた駅周辺は既にひっそりとしていた。
A世界#1
日本、東京の某所の自宅アパートの部屋で、今この記事を書いている。
時刻は夜中の1時を回ったところ。夜の静けさという風情は無く、ただエアコンの送風音とキーボードを叩く音しか耳に入らない。しかしひどく落ち着く。
小さい頃から、ぼくはこの世界に対し疑問を抱いていた。大人になればその疑問は晴れていくのだろうとぼくは思っていた。しかしながら、ぼくの姿かたちが大きくなればなるほど、その疑問もぼくの体に合わせて、大きく、仰々しい姿へと成長していくように感じられた。最初はお腹の奥底に煤の様に溜まっていたそれは、やがてとぐろを巻く大蛇のようにぼくの鳩尾のあたりに居座り、ぎゅうぎゅうと内側から内蔵を締め付けてくるようになった。近頃は締め付ける力が一段と強くなってきた。
周りの人たちもみんなそんな大蛇をお腹の中に飼っているのだとある時は思っていたが、どうもそうでもないらしい。飼っている人もいれば飼っていない人もいる。さらには大蛇に内側から食われてしまったような人もいれば、体の外に出して毒を撒き散らしているような人もいるらしい。ぼくはとても混乱した。世界というものが分からなくなっていく。ぼくは狭い世界に生きている。しかしその狭い世界ですら理解できず、折り合いをつけられず、意味が分かっていない。
そういう時、ぼくは眠る。混乱した脳味噌を休め、少しでも楽しい思いをするために。
今日も眠ろう。少しでも楽しい思いをするために。少しでも幸せになるように。